東松山市議会 2021-06-18 06月18日-05号
生理の貧困の問題については、女性や子どもの貧困、児童虐待などの観点から、ぜひ関係部署が連携していただき、早急に実態を把握して、必要な対策を検討していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 それでは、小項目2、小中学生の生理の貧困についてお伺いいたします。今、世界各国で女性の月経に関する生理の貧困という問題について動きがあります。
生理の貧困の問題については、女性や子どもの貧困、児童虐待などの観点から、ぜひ関係部署が連携していただき、早急に実態を把握して、必要な対策を検討していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 それでは、小項目2、小中学生の生理の貧困についてお伺いいたします。今、世界各国で女性の月経に関する生理の貧困という問題について動きがあります。
給食の起源は、1786年、ドイツのミュンヘンで貧困児童に給食を施したことから始まり、19世紀中頃、世界各国で実施されるようになりました。産業革命の影響で欠食児童が急増し、その子供たちを救済するために始められました。フランスでは、1894年にパリで貧困児童救済のため、アメリカでは、1855年、ニューヨークで始められたのがその起源とされています。
この、いわゆる生理の貧困問題に、この3月、参議院の予算委員会で、公明党の女性議員が、女性や子どもの貧困、児童虐待の観点からの実態把握と必要な対策を検討いただけないかと質問、ある意味タブー視されていた声、出せなかった声をすくい上げ、初めてその突破口を開き、そこから日本でも少しずつ、生理で教育を受ける機会を失われることがないよう、学校でのナプキンの無償配布が少しずつ進んでいるほか、追い詰められる前にどうすれば
2つ目は、6月19日付の埼玉新聞の貧困児童支援団体の白鳥勲さんの記事です。このことは海老原議員も紹介しておりました。下から2段目の囲った記事は、この下から2段目のところです。真ん中辺に囲ってあります。休校中の児童、4割近くの児童が1日1食だった。給食で栄養を補っていた子どもたちがやせた、こういう記事です。
戦前には、貧困児童のほかに、栄養不良児、身体虚弱児に給食が施されました。戦後は、ご存じのように、食糧難と義務教育の拡充で、ユネスコやアメリカの援助で急速に給食が全国に広まっていきました。給食制度は義務制の学校ばかりではなく、夜間の定時制高校にも就学支援として給食が始まっております。現在は、平成12年に食生活指針が出され、学校給食は学校教育の食育として位置づけられております。
今後におきましては、フェアトレード食材の使用は、発展途上国の貧困児童救済の一助となる活動であることから、学校給食で使用できる品目がありましたら、導入に向けて調査研究してまいりたいと考えております。 ○野本一幸議長 福祉部長。 〔三田光明福祉部長登壇〕 ◎三田光明福祉部長 2点目の網膜色素変性症患者への支援の(1)につきまして御答弁申し上げます。
日本の学校給食は、1889年、明治22年に山形県の小学校で貧困児童を対象に無償で行われたのが始まりとされています。戦後1954年、昭和29年に学校給食法が制定され、子どもの食のセーフティーネットとして発展してきました。また、2005年、平成17年に制定された食育基本法では、給食、食育が、知育、徳育、体育の基礎をなすものとされています。
学校給食の歴史は、明治22年、現在の山形県鶴岡市の小学校が貧困児童を対象に無料で実施したことが日本での学校給食の起源とされています。言いかえれば、子どもの栄養不足を補うのが当初の目的だったのでしょうが、食生活が豊かになった今は食事マナーや食育といった視点で継続しているのが建前だと思います。しかし、現実には、給食がなくなる長期休暇に痩せる子どもが存在しているとの話を小学校で耳にしています。
お弁当を持たない、また持たせることができない欠食児童や貧困児童を救うために始まったと言われております。戦後は、児童の栄養状態を改善するため、全ての子どもを対象とする制度となり、どんな子でも受けられる食のセーフティーネット、社会保障となったわけであります。ですから、この制度からはじかれる子どもがあってはならないということであります。
学校給食は、明治22年山形県鶴岡町私立忠愛小学校で貧困児童を対象にし、給食を与えていたのが始まりと言われています。忠愛小学校での給食は、現在の学校給食のように学校で調理された食事を教室で給したものでした。当時の給食は、おにぎり、焼き魚、漬物だったようです。それ以来130年の年月が流れました。
未婚児童と、あるいは貧困児童などという言葉も最近……。 ○議長(中嶋通治) 伊藤議員に申し上げます。 もう少し簡潔に質問をお願いいたします。
日本の学校給食は、1889年に山形県の小学校で貧困児童を対象に無償で行われたのが始まりと言われています。戦後、1954年に学校給食法が制定され、子供全員の食のセーフティネットとして発展、定着してまいりました。深刻な貧困化のもとで、学校給食の役割はますます重要になっていると思います。
格差が広がり、子供の貧困が新たな様相を見せる中、貧困児童、欠食児童対象の給食から、その弊害を乗り越えて普遍的な給食に変わっていったわけです。学校給食の原点に立ち返って考えてみる必要があると思うのですけれども、今言ったように、貧困率は13.9%、約14%、相対的貧困率は2人に1人が、ひとり親家庭の場合、そういう状況にあるのかなと思うのですけれども。
学校給食の成り立ちは、明治22年、山形県の鶴岡町の私立の忠愛小学校で貧困児童を対象に、無料で学校給食が提供されたというのが始まりであると聞いております。これが日本における学校給食の起源とされております。そのときの献立がおにぎり、塩鮭、菜っ葉の漬け物ということで供されたという記述がございます。 草加市におきましても、1948年、昭和23年に草加小学校でスタートしています。
そして、昭和7年、文部省訓令の「学校給食臨時施設方法」により、国庫補助による貧困児童救済のための学校給食が初めて実施され、後に、対象が貧困児童から栄養不良児、身体虚弱児に拡充されております。さらに、昭和25年にはアメリカから小麦の寄贈を受けて、8大都市の小学校で完全給食が実施され、昭和26年には全国市制地に完全給食が拡大されております。
障害者福祉、ひきこもり、生活保護、貧困、児童福祉、高齢者福祉などチームで支える組織強化、専門職員の増員、また掘り起こしなどに対して、町長のお答えは、こちら側から出向いていく、学習の場を提供していく、医療機関とも連携していく、専門職員は増員するという内容でした。町民福祉課には専門職員は配置していただけませんでしたが、今回はさらにそこから先を伺います。
その後、昭和7年、国庫補助による貧困児童救済のための学校給食がはじめて実施されたように、学校給食の歴史からすると、貧困児童に対する給食の提供という趣旨は、現在も生活保護法、及び学校給食法により、受け継がれているものといえます。
全国学校給食会連合会ホームページによりますと、学校給食の歴史は明治22年、山形県の小学校で貧困児童を対象に、無料で実施したことが始まりだそうです。現在は、全国55市町村で無償化が実施されていますが、6人に1人が貧困であると言われるこの今の日本の子どもたちに何が必要なのかということです。
学校給食は、明治22年、山形県鶴岡町の忠愛小学校で貧困児童を対象に無料で実施したのが起源とされています。和光市では、昭和36年12月、当時白子小学校、新倉小学校、そして第三小学校から学校給食が始まり、ことしの12月でちょうど55周年になります。 小・中学校当時を思い出すわけです。2時間目が終わるころには、給食室からはいいにおいがし、4時間目が終わるころには、給食室にはでき立ての給食が待っている。
その一部分だけ読みますと、政府は、やはりこの教育的貧困、児童の貧困についてやっぱり把握していることは事実です。当たり前ですが、それで政府は、子どもの貧困対策の推進に関する法、これを2013年、今から3年前、6月に出していますね。それから、その次ぐ年には子どもの貧困対策に関する大綱について、子ども、子どもという言葉を使ってありますが、「ただ、この問題では」、こう浅井教授は言っています。